鴨縣古典研究会
昭和十二年五月一日、第三十一回・式年遷宮がおこなわれました。記念して京都国立博物館において「賀茂御祖神社展」や神社においても「神社資料展」が開催されました。
そのため昭和十二年十二月三十日に「鴨縣古典研究会」なるものが結成されました。
その背景をみると「本会は鴨縣の地域変遷と歴史並に古典の史実を研究」等々おこなう、と記されています。ただ一つのこだわりがみられるのは「鴨縣の凡ゆる史実は悉く鴨大神の霊蹤に起源す 依て之が研究者の範囲は最も厳格に指定す」とある点です。今の時代からすれば何を言わんとしているのか、意味不明のうえ自由な研究機関ではなかったとの誹りは免れないと思われます。しかし「鴨県主」とはせずに「鴨縣」とするなどのこだわりです。かつて千年間継承した学問所の再興を意気込んでいたことが強く感じられます。それは「鴨県主」とすれば鴨一族に限られる恐れがあってひろく「鴨」について、としたところからもみられましょう。
翌年、その成果ともみられる「鴨縣古典研究会展覧会」の開催となりました。昭和十三年七月十日から賀茂御祖神社内において開かれています。遺されている目録を見ると、五十数点ばかり。更によく見ると、出陳者の大半が梨木一族です。
関白賀茂詣序一巻 梨木祐之手稿
後光明院御製集 祐之蔵本
日本書紀神代巻和解 祐之稿本
日本書紀神代巻和歌 祐之著自筆
五字神符秘書 與名草 祐之稿本
山崎闇斎先生作・弓矢政所記 正親町公通書写
出陳のなかでも目を引く典籍をあげました。『五字神符秘書』は、後の『與名草』と称して鴨神道の理念を論じた著述です。祐之は、一神道とも梨木流神道説とも称していました。山崎闇斎の著があるのは、正親町公通も梨木祐之も闇斎の門人であったからです。