毎年、賀茂御祖神社 社務報告書をみると、当神社のお祭は五七〇祭から多い年は七〇〇祭を超えてご奉仕をしております。
その度ごとに御供えが用意されます。その時、用いられる土器や御膳などの祭具は、現在の他の神社では、三方(三宝とも書きます)、あるいは、木製の高坏に瀬戸物の土器を用いられています。
当神社は、御供えの料理法によって、お椀やお皿を撰びます。最初から定められた土器類や高杯類を用いる決りがあるわけではありません。御飯、御神酒など限られたお品には、決まりがありますが、それとてその都度木製であったり陶器類であったりと、調理する者の裁量にまかされています。
御汁などは、実と汁が別に御供えされます。御汁は、潮(うしお)と称して、木製漆塗りの御椀に入れられます。容器はこの潮に限られているため、御椀も「潮」と呼ばれています。しかし、明治維新後、神社の祭祀制度が御供えの方法まで大きく替えられ、江戸時代の末まで一社独自でおこなわれていたものを何々の祭典にはお米、お餅、魚、海藻、野菜、果物、お菓子、お塩に水と、順まで決められてしまいました。従って、容器類も陶器の白色無地、三方を用いることと定められ、それまで煮炊きしていた御供えを祭儀によっては生饌に替えざるを得ないことが生じました。しかし当神社は伝統を守るため、御供えを盛る器、容器、御膳類は、千年来のままです。
例えば、御神酒を御神酒皿土器に注ぐには、安南(あんなん)を用います。安南とは、今日のベトナム地域のことで、嘗ての仏教大国でありました。仏教の修行に渡航するにあたり当神前にて御祈願され、帰国時にはその御礼として奉納された鶴首形の陶器を神酒注ぎとしたのが今日まで伝承されています。他にもペルシァと称する油注があり、潮をペルシァに入れ、それを椀の中へ収めると言う使い方をしています。