―賀茂社旧記
鴨御祖社神殿等事 次第不同、具見社記
鴨神事次第
「賀茂社旧記」と称する資料は、他にも見うけられます。と云うのも氏人が家ごとに記録したものを後の時代に自家の記として纏め「旧記」としたからです。
例えば、標記の「賀茂社旧記」ならば、「明治二十七年七月、京都泉亭俊彦造本」と、文末に識語が付加されています。他家からすれば、都合良くこの資料を自家のために書き加えたり、改めたりすることが出来ます。事実、写本を多く見ます。例えば、「賀茂社記類集」という類書があります。内容は、標記の資料と同じです。ただ「御祖皇大神宮」との一編が加えられ文末に「祐直卿自筆之書。本誌有干梨木家也」として三編の資料が纏められています。類題を探せば数限りないと思います。
標記の資料の題簽を「泉亭本賀茂社旧記」とでもしておけば他に利用されることもなかったのではと考えます。そもそも「賀茂社旧記」と称する資料は実在しないのです。幾本かの資料を合わせて資料集と云った意味に使われています。
「鴨御祖社神殿等事」の内容は、「応保辛巳則己卯日(応保元年七月八日のこと)仮殿遷宮刻為後世愚家子孫書之訖 従三位祐直 花押」と、文末にあります。また「鴨神事次第」の末尾には「右以家君御自筆本写之訖
従三位祐直」とあり、自家の伝来資料から集成したとのことです。
祐直と称する人物は、天永二年(一一一一)の生まれ、文治元年(一一八五)四月二十二日、七十四歳で没しています。官制の本宮禰宜で応保元年(一一六一)九月二十六日、第六回式年遷宮(『山槐記』)を奉仕しています。その節に最も必要な本宮以下の殿舎の記録でした。その目録です。現在なお参考としています。昭和十二年(一九三七)、第三十一回式年遷宮の前に内務省神社局考證課長宮地直一氏がこの資料をみて「鴨御祖社神殿等事」の文末に朱筆で応保元年式年遷宮の出所「二条天皇、応保伯紀とみるべき」と記しておられる。
資料には、平安時代の社頭に約二百数十カ所の殿舎、鳥居、橋にいたるまでを記しています。