日本書紀神代巻 二冊 神龍院梵舜筆 賀茂御祖神社所蔵
神代巻 嘉禎二年 下、鴨脚本、重要文化財
國學院大學所蔵
日本書紀神代巻 上下 梨木祐之稿本 賀茂御祖神社所蔵
今回は、古典の日にちなみ『日本書紀』が発刊されて一千三百年になるとのことで『日本書紀』と賀茂御祖神社について みたいと思います。
標記の「日本書紀神代巻 二冊 神龍院梵舜筆」上巻の添書には、「本云 天文癸巳仲秋中二加修補之己候 天児屋根命四十八世孫 神祇管領勾当長上侍従卜部朝臣兼右」とあり、さらに「累家以秘本不□一字並数度校合了而許外見」「慶長十五年戊戌卯月七日 梵舜 花押 印」とある神代紀上下二冊です、箱書きには、「気吹舎平田先生門人、信濃國佐久郡岩村田藩中角田墨綱紀朝臣忠行珍蔵」との識があります。角田忠行は、熱田神宮の社家で明治初年、神社制度改革時に賀茂御祖神社少宮司に補任されました。梵舜は、江戸初期の国学者で卜部兼右の子。
『日本書紀』関連の資料によると、卜部兼右本には、天文九年本、重要文化財、天理図書館所蔵、と同時期であることが判明します。卜部本は、この他、弘安九年本、国宝、京都国立博物館蔵、はじめ七本あります。神社の所蔵本の奥書に「何度も校合して」とあるのは、卜部本の古本と関連すると察せられます。
『嘉禎二年、鴨脚本』は、鴨脚とは「いちょう」と読みます。鴨祝部(かものはふりべ)と称し賀茂御祖神社の祝職を累代で神勤し社職として鴨社公文所司を兼ねており、学問所の文物を管理する役でしたから、「鴨脚本」と称していますが「鴨社公文所」あるいは「鴨社学問所本」とするのが正確です。明治初年の神社制度改革により全ての文物は、公文所司の氏名で登録されたため、現行のようになりました。
『日本書紀神代巻 上下 梨木祐之稿本』については、前回、この欄で述べました昭和十三年七月十日開催の「鴨縣古典研究会展覧書籍目録」により紹介された稿本とみうけられます。梨木祐之は、江戸時代、享保のころ官制禰宜で鴨社学問所の教授であり、宝永二年より将軍徳川綱吉に『日本書紀』をはじめ古典の講義をしたことで知られています。この稿本は、そのときに用いられたのではないかとの説があります。