毎年、正月五日、年賀祭が斎行されています。昭和二十一年一月五日の『社務日誌』をみてみると、変わらずに年賀祭のことが記されています。
ただ、その日の記述は、例年と比べて次のようにあります。「午後二時案内ニテ総代会ヲ招集」と。何が諮られたかというと「神社今後ノ財政援助二関シ 二三協議」とあります。というのも、旧憲法下の神社の有様と新しい宗教政策のもとで神社の運営管理をどうすべきか、と各神社がそれぞれの方針を企てようとしていた時期です。
下鴨神社は、今日の世界遺産下鴨神社崇敬者会を創立しようとするきっかけの会合の記述でした。
二月十二日の記述には「当社今後ノ財政援助ヲ目的トセル崇敬団体ノ会組織ノ件」と具体的な表記となっています。
名称も二月十五日のくだりには「敬神会(仮称)」となっています。九月十八日の記事には「聯合会、町内会、隣組ヲ通シテ割当寄付金ノ醵出及神符守札ノ頒布等」「協議事項ノ要件」「イ、世話人設置。ロ、氏子会会則起案。(報賛会会則ヲ訂正)。ハ、会則起案ノ代表者」と、更に具体化しています。この時点では、まだ組織の名称は定まっていなかったことが知れます。九月二十八日には「氏子会会則起稿ノ協議ノタメ委員会アリ」。十月七日には「原案多少ノ修正アリテ決議。現氏子総代ハ設立準備委員ト仮称シ本月末日迠ニ世話係ヲ選出シ神社ニ届出ヲ約シテ閉会」と記しています。こうして、協議事項を積み上げ、会組織の名称も本来、下鴨神社の崇敬者は氏子というより、山城國一の宮との意識のほうが強く、崇敬者会として今日の基礎がなりました。
翌年二月二日、ようやく下鴨神社崇敬者会として、発足しました。以来、七十年間、葵祭、御蔭祭をはじめ年中の御祭の奉仕活動、神社と崇敬者間の仲立ち等々について、奉仕の歴史を重ねてきました。
当神社は、言社というエトの御社が祀られています。十月九日は、例祭日でもあり、全崇敬者のエト祭りでもあります。京都の銘産店、里神楽など数々、ご参列の皆さんが参加される催事が開かれます。ぜひご参加ください。
来年は、七十周年の記念大会です