俳句の冬の季語に「春隣」と言う何か春を目の当たりに感じさせる言葉があります。いつの間にか大寒に入り京都では、一番寒い時候を迎え今年のお祭のことを考えはじめました。
まだ随分時はありますが、春隣のことを考えている内に、解除(げじょ)のこと、御祓いのこと、三本杉の御祓いの復元工事のことについて纏めたいと思い至りました。三本杉の御祓いにかぎって、解除とは言わずに「御祓い」と、称しているのは、御本宮ではなく、御蔭祭の御蔭山の御祓い場、であるからです。御蔭山の登り口は、八瀬口と高野口があります。お祭ごとは、古い時代から高野口からお山にはいることになっていました。お山、自体が神さんとして信仰されてきましたので、お山の登り口でまず御祓いを受けてお山に入ることになっていました。八瀬口の方は、祭具の搬入、搬出や掃除、不要品の下げ渡しなど、お祭ごと以外すべてを持ち運んだり、持ち出したりする口でした。
ところが、昭和27年、ジエン台風以来、毎年のように京都へ襲来した暴風雨でお山の一部が崩れたり、禊の滝が土石流で埋まってしまったり、三本杉の御祓い場の崩壊と、スッカリお山の姿が変ってしまいました。ついには、昭和37年の暴風雨で齋館まで倒壊してしまいました。
様々の事情でなかなか災害復旧が今日に到っても復元に及びません。ようやく、今期、第34回・式年遷宮事業の一環として、御本殿の解体修理の御遷宮、参道の整備、境内の調査等々に着手いたしました。
なかでも、御蔭山と御蔭神社の歴史を鑑み國指定の史跡として文化財としてお山の保存対策がとられるようになりました。それにより、平成28年度から保存対策、景観保全のため整備復旧工事がはじめられました。
その最中、昨年の11月、地元紙に「日本一のノッポ」判明。花脊の三本杉」との報道がありました。新聞によると、樹齢1200年といわれており、御蔭山よりさらに北の峰定寺(ぶじょうじ)の神木との民間信仰の厚い杉の木の紹介でした。
御蔭山の三本杉がどれほどの大きさであったかまた、樹齢は、とはまったく不明です。杉は、すぐなり、とも言って、鋭い三角形のとがった先を天に向け神々を迎えるヒモロギに似ているところからご神木とされることが多いようです。わざわざ、御祓い、と称しているのは、この杉の木に御祓いの神さんをお迎えすることをさしているからと思われます。解除のときは、お社の神さんの御名を称えます。