またまた、ご無沙汰しました。この時期、賀茂御祖神社は、依然として江戸時代以前の行政を明治の初めの改正にもかかわらず維持してきたので六月が年度の締めくくり、七月から新年度です。ところが、祭儀、神事は、これまた季節のまま、暦が変わっても旧暦のまま。従って、すぐみたらし祭との祭事と今日的な関連法人の清算等々のため、寸暇無くご無沙汰してしまいました。
表題のカラスとは、八咫烏(やたがらす)のことです。その八咫烏とは、『日本書紀』の神武天皇三年の六月二十三日のくだりに、神武天皇の東征の折、熊野の山中で道に迷われたとの神話の一段で「その夜、天皇は夢を見られた。天照大御神の『頭八咫烏を遣わそう。それを道案内としなさい。』との仰せによって、難を逃れられた。」さらに、同年十一月七日のくだりに「皇軍は、退去してシキツヒコを攻撃しようとして使者を使わしてエシキを召された。ところが、エシキは、命令に従わなかったので、そこで頭八咫烏を遣わされて召された。頭八咫烏もエシキの陣営に属した。ところが『天神の御子が、御前をお召しになっている。さあ、さあ。』と鳴いた。それを聴いたエシキは、怒り『天上から神がやってこられたと聴いて憤慨しているさなか、どうして烏がいやな聲で鳴くのか』」と、頭八咫烏の活躍のことを識しています。しかし三本足とは記されていません。頭八咫烏を三本足の烏とするのは平安時代中期に編纂された『倭名類聚抄』です。おそらく、この頃に古代中国の伝承「三足烏」(さんそくう)の伝承になぞられたのではないかと思われます。『日本書紀』には、さらに敏達天皇元年五月のくだりに、高麗の国からよせられたカラスの羽に書かれた上表文の解読のくだりが記述されています。
それもさることながら、エシキが問題にしている「なぜ、烏なのか」と。たしかに、人々の身近にいる鳥類は『万葉集』にも謳われていようにホトトギスでありウグイスです。それは、鳴き声がきれいで、姿がうつくしくあったりするからでしょう。それに対して、烏を『古語辞典』などでをみると「カラスは全身真っ黒で目がどこにあるのかわからないから鳥の字の一画をはずして烏とした」とあり、その一画が目であるとしています。また、月にはウサギ、太陽には、カラスがいるとの伝承を伝えています。
烏の縄手とは、無文字時代、神の言葉を聴きに行く小径、と伝えている参道です。