明治天皇御製 鴨の御手洗川
日でりにも かれずとぞ聞く 神がきの
みたらし川は ほそくみゆれど
嘉永七年(1854)四月六日(安政に改元の年)、洛中に大火があり宮中にも回禄(類焼)しました。こうしたとき、古くからの例にならって、孝明天皇をはじめ皇太子・祐宮(のちの明治天皇)や皇族方、公卿は一時的に当神社をご避難の仮御所とされていました。
この御製は、後に(慶応四、明治二、明治十)、行幸親拝されたとき、仮御所にてご滞在中を思いおこされての御歌と伝えられています。
仮の御安在所となったのは、細殿御所で、このような時のほか、御歌会、親拝行幸、行啓御幸などのせつ仮御所となる由緒の社殿です。仮御所の前を流れるのが御手洗川です。東側、南側は、桔梗の花の庭になっており、北側が土用の丑の日に御手洗祭の足つけ神事や立秋の前夜の夏越神事のとき裸男が御手洗の池に飛び込む勇壮な矢取りの神事がおこなわれる井戸の上の神さん井上神社の池です。その流れが御手洗川です。東岸には桜、西岸には、梅があり洛中洛外の名物となっています。
祐宮睦仁親王の仮の行在所となったのは、御本宮西方の三井神社でしたが、御滞在中は、毎日、この景観を御楽しみになられたと思われます。まだ、御手洗川のほとりに咲きほこる卯の花やお庭の桔梗の季節には、少々早い時期でしたが、それだけに御手洗川に伝わる伝承や故事をたくさんお聴きになったことと思われます。その一つがお詠みになられた「日でりにも かれずとぞ聞く」との歌詞です。
御手洗川の常は、細々とした流れですが、土用の丑の日が近づくとたちまち、湧き水が盛んとなり下流の田畑をうるおし、人々の生活を豊かにする、涸れることのない、と里人は伝えています。
また、この日に御供えするのは、池の底から湧き出る水泡を形とった団子をいただき疫病にかからないよう、夏やせにあわないようと数々のお願いごとを念じていただくのがみたらし団子です。
本年はコロナウイルス禍の影響により、足つけ神事と裸男の矢取りの神事を取り止めることといたしました。しかし無病息災と疫病終熄への祈りは続きます。御手洗川の涸れぬ流れのごとく。