最近は、骨董品とか、古画など、古い物ブームです。何かと言えば話題によくあがっています。そういうわけでもないのですが、実は、江戸時代末の当神社の社家の一人で歌人でもある梨木祐為の詠んだ和歌の懐紙の軸を資料として、事情があり購入しました。
梨木祐為は、どちらかと言えば、「大八州記」や「日本逸史」などの著者であり、将軍綱吉の国学の先生でもあった祐之の方が有名でした。
祐為は、享保元年(一七一六)、本宮禰宜・梨木祐之の子の綱祐の子・禰宜・祐喜の次男でした。すなはち孫と兄弟で、分家の筋になる祐為は、歌人として、歴史的考証などの分野でひろく知られた人物でした。生涯詠んだ歌は一万首を越すと言われています。歌は、
詠水流清 水の清き流れを詠む
葩農尾濃 山乃陸記岸 はなのおの山のくがきし
大井川 以波古数浪也 大井川 岩こす波や
萬代廼聲 よろず世の聲
正四位下 祐為
との和歌です。ところが、一見して、字が違う、字と正四位下、の時代と合わない、歌風が違う、大井川は、祐為ならば「大堰川」とするであろうし更には「桂川」と詠むであろう、ただ「大堰川」と「桂川」との違いは、岩こす波や、の荒々しさ、から都人ならば「大堰川」とする方を詠むのではないかと思えます。
目を引くのは、やはり字です。正四位下、の時代は、河合社の権禰宜でした。歌の師として尊敬していたのは、冷泉為村でした。からみて全く合いません。
その頃は、学問所で読み書きを教えていたので、生徒の稽古ともとれます。