よく言われていることですが、季節は正直なものよ、と。たしかに、一月の十日を過ぎて、みたらし川のほとりの光琳の紅梅が開きはじめました。来月のはじめには、楼門のなかの庭中に匂いたつことでしょう。
以前この欄で記したことがありますが、下鴨神社の正月は、暮れの十二日の若水御薬酒神事から、新年一月十五日の御粥祭までが正月です。今年は新型コロナウイルス禍のなかでしたから、例年の関係者のご参列は無く、ご迷惑をおかけしました。そのなかで、暮れの祭事、新年の神事は、恒例により伝統のまま無事にご奉仕いたしました。
ここ数日、新聞やテレビをみていると、いつもより神社や神道のことなどが採りあげられていることが多く、今までに無い光景を知りました。
例えば、産経新聞、一月五日、『日本における神道の行方考える』平川祐弘」。読売新聞、一月五日夕刊、「日本史アップデート『神道の成立』の二編に特に注目しました。今まで、一般紙にこのように神道とむきあって本質的な問題を論談をされたことがなかったからです。産経新聞では、「日本人の心の行方はどこにあるのか」と言うこと。読売新聞では、「神道は日本の風土の中で太古から連綿と伝わる固有の信仰、とみる人は多いだろう。」と「神道の成立」について、そうして、祭祀について、両紙とも信仰の有り様について述べています。
今日、紹介しようとしていた神社資料に関わることで、読売新聞が「近年、成果が目立のが、古代のカミ観念が、中世、近世を通じて大きく変化してきたことを明らかにする思想史的研究だ」としたことで鴨神道の有り様もその一つではないかと思うからです。
『烏伝神道大意』(うでんしんとうたいい)は、上賀茂神社の社家の出身者、梅辻規清という人物が江戸の下谷池の端仲町などで瑞烏園と呼ぶ塾を開き烏伝神道の講話をしていました。「烏」は、下鴨神社の御祭神・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)のことです。「からすつたえのかみのみち」と言う意味です。
『八坐幣略範』は、江戸時代の下鴨神社の官制禰宜で宮中の中務大輔を兼務し将軍綱吉に古典を講義していた泉亭俊永の著です。
人は、自然のなかにともにあって生命を生み出すその力を御生(みあれ)と称して信仰の対象としています。