流れゆく形代の名のをみなかな 虚子
昭和十四年(1939)、高浜虚子は、初夏の糺の森を俳句仲間と散策したのち、御蔭祭を拝観した。
みあれの日檜垣の宿に立寄りつ 子角
その後、十五日の葵祭も拝観している。
夏草の糺の森や賀茂祭 虚子
また、八月六日の立秋の前夜の夏越神事にも参列している。頭書の虚子の句は、そのときに詠んだと伝えられています。
楽の音の澄める糺の御祓かな 子角
この句も頭書の句も、雅楽の奏楽のうちに御祓いの夏越神事がおこなわれ、御祭の最中、裸男が御手洗の池の五十本の齋串に向かって飛び込んだ瞬間、神職が裸男めがけて蒔いた御祓の人形(ひとがた)に知りあいの女友達の名が記されているのがやがて、御手洗川の流れにのっていく情景を詠んだものと思われます。
神前に真近く出来し茅の輪かな 虚子