新年の元日は、穏やかに明けました。何年ぶりかの雪のないお正月でした。酉年は、バタバタと目まぐるしく、慌ただしい年だと、世の人は言い習わしていますが、元日の様子からみて平穏な明るい年が期待出来るのではないかと思います。
元日の新年のご挨拶の中で、この一年の覚悟を述べましたが、そのうち、復旧するお社のことを申しました。初夢に終わらないようもう一度申したいと思います。
一社は、「賀茂斎院歴代斎王神霊社」です。文字通り葵祭でご存じの斎王さんのお社です。
明治二十七年編修の『賀茂御祖神社明細帳』には、「河崎社 斎院鎮守御社合社 御祭神・大伊伎命(市民の間では、猿田彦大神と呼ばれています) 斎院御代々神霊 勧進・嵯峨天皇御代 所在・在所、本社西南二町半」とあります。この記録は、斎院御代々神霊のお社へ河崎社が合社されたことを記しています。明治二十七年(一八九四)、当時は、二社が一社に合祭されていた、ということです。勧進が「嵯峨天皇御代」なっています。初代の斎王は、嵯峨天皇の第八皇女・有智子(うちこ)内親王さまでした。弘仁元年(八一〇)、四才のときに卜定され、天長八年(八三一)十二月、二十一才で退下。承和十四年(八四七)十月二十六日に四十一才にて薨去されています。以来、鎌倉時代の後鳥羽天皇の皇女・禮子(いやこ)内親王まで三十四代、約四百年にわたって代々皇女が斎院をお努めになりました。
『百練抄』の仁平元年(一一五一)七月四日のくだりに「一院供養河東御所内中嶋御塔」とありますが、「河東」というのは、その当時の宮中からみて、鴨川の東の御所、すなわち「鴨社神館御所」の当時、糺の森に所在した御所の池庭に祀られていた歴代斎王の神霊社の「ご供養(お祭)のことを記しています。
『賀茂御祖神社明細帳』の記載の長い歴史の間に紆余曲折がありましたが、今日まで変わらずにお祀りされています。ただ昭和二十四年・第三十二回・式年遷宮により造替予定のため、御祭神は三井社末社へ仮遷御され、社殿を撤去されたのですが、戦後の混乱状況で御遷宮が約二十年間遅延し、御社殿が未だに御造営されずにいますので今回の御遷宮では、どうしても御再興しなければならないので初夢におわるわけには参りません。